投稿

11月, 2007の投稿を表示しています

Recent 10 Tracks from Last.fm

サイトのサイドバーにLast.fmの「Recent 10 Tracks」というブログパーツが表示されているかと思います。 読んで字のごとく、iTunesまたはiPodで聴いた最新の10曲ということですね。 自宅PowerBookで聴いている場合はそのトラックがリアルタイムにLast.fmにアップされ、iPodを繋げて同期させる際にはiPodでの最新プレイトラックが吸い上げられてLast.fmにアップされ、誰かがこのブログを閲覧した時にLast.fmからその最新10曲の曲名が送られるという仕組みです。 まぁそういうややこしい仕組みは置いといて、要するにこいつはさっきまで何を聴いていたかというのが一目瞭然の恐ろしい仕組みでもありますね。 今の設定では曲の長さの50%以上(例えば5分の曲なら2分30秒以上)聴いたら1曲とカウントしているので、例えばちらっとイントロ聴いてスキップしてしまった曲はカウントされていません。 だからPink FloydのAtom Heart Motherなんかはもう一生カウントされませんね(笑 しかし、最近自分のRecent 10を見ていてつくづく思うのは、これ欲求不満の塊みたいな高校一年生のリストだね。 メタリカにサバスにラモーンズ。しかもメタリカのはモーターヘッドのカバー。40歳後半の男が聴くリストとしては殺伐とし過ぎている(笑 まぁ考えてみれば、地下鉄車内でふと我に返ったらジェームズ・ヘットフィールドの形態模写をしていたこともあるし、ハードロック系の曲には抗えない部分もあるし、まさにロック野郎はハードロックが基本なんだなと思う。

Hard Woman / Mick Jagger

Mick Jaggerのソロ初期2枚は俺的にはLP時代だったので、CDでは出ていたがLPで持っている。でも未だリップしてない。 大昔の「パフォーマンス」の曲まで入ったベストだというので、LPからのリップに手間をかけるよりベスト盤を買った方がいいかと思ったけど、なんと肝心の初期2枚からの選曲が少ない(笑 うーん・・・と悩みつつ曲名を見ていると、「Hard Woman」も入っていない。あのPVもDVDには未収録。なんてこったい。まだロクなCGすら無い時代にモーションキャプチャと(今にしてみれば)簡単なCGを駆使して、かつてない映像を見せてくれたあの傑作PVがないとは。意外とセンスがないのか、権利関係で出せないのか。 そのHard WomanのPVはYouTubeで見つかったけど、とりあえずボク的にはこのベストは見送りとしたいです。

デレク・トラックス・バンド来日

昨年のクラプトンのツアーに同行し、デュアン・オールマンの再来かと思わせるようなギターを披露し、クラプトンのバンドがまるでデレク&ザ・ドミノスであるかのように錯覚させてくれた功労者のデレク・トラックス。(もちろん。ドイル・ブラムホールも忘れちゃいけないが) そのデレクが自分のバンド「デレク・トラックス・バンド」で来日公演中。 どうしようか迷っているうちにチケットはソールドアウト。追加公演もソールドアウト。追追加公演の11月25日だけは間に合うらしいという状況で、じゃぁ25日の来日公演初日を当日券狙って行こう! と考えていました。 カレンダー上は、11/25(日)、11/26(月)、・・・なんですが、何故かボクの頭の中では、11/25(月)、11/26(火)と1日ズレていまして、月曜日のお昼になってから「じゃぁ、恵比寿へ行って当日券の行列に並ぼう!」と決意。 いちおう当日券の有無とホールの場所を確認しようとウドのサイトにアクセスしてみたら・・どうも日付を間違え、とっくに初日は終わっているらしい。アホですな。 もうチケットはないし、まさか名古屋や大阪まで行く訳にもいかず、今回のツアーは断念です。 教訓:カレンダーは確認しよう! ライブDVDが出ているので、とりあえずこれで我慢だ。

The Joshua Tree

区切りが良いので25周年とか30周年というのは多いが、「20周年記念」というのは珍しいような気もするU2の「The Joshua Tree」。 リマスター盤+シングルB面/未発表曲CD+ライブDVDに54ページのブックレットというパッケージで、US盤やUK盤は既に発売になってます。日本盤は12月に入ってから発売。 しかし、Warの20周年記念盤は出てないと思うけど、ヨシュア・ツゥリーは出る訳ですね。なんか理不尽な感じがします(笑 U2はデビュー時からリアルタイムに全部聴いていて一緒に成長したというある種の連帯感を持っていまして、U2の歩みを振り返ると Boy : 久々の若手ギターNWバンド October : いきなりの傑作。ハードエッジなNW。日本でも人気ゲット。 War : 音、メッセージ共文句なしの傑作。アメリカで人気ゲット。 Under A Blood Red Sky : ライブも青臭いがアルバムとしても傑作。 The Unforgettable Fire : イーノがプロデュースでイメチェン? ダニエル・ラノワって誰? The Joshua Tree : U2のアメリカ発見・・・ なので、U2というバンドの最初の傑作はOctober/Warあたり。まぁ実績からすればWar。 そしてU2がさらに一皮剥けて「化ける」のが彼らがアメリカを発見した後に制作/発売されたThe Joshua Tree。 うーん、たしかに大きな意味で捉えればこっちの方が意味が大きいのか・・・

Lindsey姐さん

YouTubeで見つけたグレートな若手ブルースシンガーLindsey08senちゃん。 なんとLou Ann Bartonの「Can't Believe You Want to Leave」をカラオケで見事に歌いこなしています。 他にもLou Annの曲を歌っているビデオがアップされていますが、このリラックス(し過ぎ?)バージョンが一番良いですね。 よく見ればわかりますが、Lou AnnのCDをBGMにリップシンクしている訳ではありません。ちゃんとご自身で歌っています。 こんな一般人(それも20歳そこそこですよ!)がゴロゴロいるとは、アメリカ南部は恐ろしい。 いるんだよなぁ、こういう南部系火の玉ネェチャン。 昔、アトランタのブルースバーで、もう少し年増の南部ネェちゃんから、マッチを貸せ、タバコをくれ、ジャックを飲ませろ、タクシーを呼んでくれと絡まれたなぁ、あ、あの人は職業がちょっと違うか(笑

ヨイトマケの唄

1960年代、戦後は終わったが戦争の記憶は生々しかった時代にあの時代の日本でしか産まれえなかった名曲。 オリジナルは美輪明宏こと丸山明宏。 歌詞中の「土方」という言葉に過剰反応した民放各局が放送を自主規制したが為に、長らく一般の人にとっては幻の名曲だった友言われるらしい。ただしNHKはそんな職業差別はせず普通に放送していたはずなので、幻の名曲という言い方はちょっと怪しいかも。 母の愛は海よりも深く、父の愛は山よりも高く、だからお袋がセイラーだったころ親父はモンブランだったというギャグが成立するんだけど(おいおい)、その母の愛情、親への愛情を歌う歌詞には普遍的な崇高さが漂いますね。 ビデオはそんな名曲へのリスペクト感濃厚な桑田君のカバー。オリジナルはシャンソンシンガーが歌う演歌だったけど、こういうアレンジで聴くと、現代的な耳には丁度良い加減ですね。 過去、この曲を聴いたシチュエーションの中で最高だったのは、ある映画館のレイトショー。開演前にこの曲が流れていました。レイトショーの内容は美輪明宏の「黒蜥蜴」と石井輝男の「恐怖奇形人間」の二本立て。もちろん黒蜥蜴に敬意を表しての選曲なんですが・・

Billy Elliot

もうすっかり大人のジェイミー・ベル君の出世作(というかデビュー作)「リトル・ダンサー」。当時は子供のダンス映画〜? とバカにしつつ観に行ったのだけど、観たら納得。今なお語り継がれる傑作です。 一般的には「青春映画」、子供がその輝かしい未来への扉を開くという映画なんだけど、僕的には音楽と時代背景が自分自身の若いころとダブってしまい、灌漑深いものがあります。 まず音楽が最高。メインでフィーチャーされているのがT・レックス! 時代背景は1984年頃の英国の炭坑ストなので、実はT・レックスとはちょっと違うんだけど。 だっていきなり「Cosmic Dancer」で始まるんですよ、この映画。それ以外にも「Get It On」とか「Children Of The Revolution」、それに「Ride A White Swan」といった曲が、場面にぴったりはまって選曲されているだもの。 時代背景とシンクロする選曲としては、ジャム(体育の授業をサボるシーン、落書きに「JAM」と書いてあって苦笑)にスタイル・カウンシル、それにクラッシュなども。要するにあの時代の英国労働者階級の匂いをぷんぷんさせる選曲なんですよ。 特にビリーが文字どおり地団駄踏むシーンでJamの「悪意の街(Town Called Malice)」とかはほんと、すばらしい選曲。 もちろんこのシーン、ビリーがどうにもならぬ自分の感情を爆発させるシーンでして、その方向がダンス。自分の未来を選択して行こうとする少年が様々なしがらみなど思うように行かぬ自分の心象風景を映像化したものとしては最高の部類に入ると思います。 それと時代背景。サッチャー政権の規制緩和、構造改革(←最近どこかの国でも頻繁に耳にする言葉)の象徴として、狙い撃ちにされた英国南部の石炭蚕業。炭坑の閉鎖などに対抗して炭鉱夫が大々的なストをうち、それに対して国内が二分されちゃったんですよ。日本の普通の人はどうだったか判らないけど、当時の NW系英国ロックを聴いていた人にはかなり身近な話題だったはず。 そんな時代に炭鉱夫側の立場で発言し行動し続けたジャム(=ポール・ウェラー)やクラッシュの曲が使われているのは、この映画の作り手側の思いがどこにあるか、一目瞭然です。 そのような時代背景を重ねることによって、単なる成長物語りではなく、消え去って行く者(ビリーのお父さん

Factory Girl / Edie Sedgwick

女工哀史ではないです。 ストーンズでもないです。 60年代のスーパー・モデル、イーディ・セズウィックの伝記映画。 米国では春頃公開されたけど、結局日本では未公開のまま終わるんでしょうか。 超上流階級からドロップアウトしアンディ・ウォホールと出会う事でファクトリーに出入りし、ファクトリー〜ディラン〜ベルベッツ〜NYパンクのミューズとなった女性。 Dylanの「Like A Rolling Stone」は彼女のことを歌ったものらしくディランはこの映画の公開を差し止めるよう求めていた。またイーディをアイドルと公言するパティ・スミスは彼女の死後、追悼詩を書いている。 という女性をモデルにした映画なのだからミニシアター系でも公開していいと思うんだけど、それでも公開されていないのは理由があるに違いない。おそらく ・ディランからのクレームを恐れて配給会社が手を引いた ・実はたいしたことのない、中身の無い映画だった どうも後者くさい・・・

Foghat 後日談

イメージ
はい、これがフォガットサイトのツアーのライブ・アルバムにして今のところFoghat最後のアルバム「Road Case」です。 (King Biscuitシリーズを除く) ライブは相変わらずのテンションです。もっとも、実物を観たことがないので想像ですが(笑 でもこのライブCDで聴ける限りでは全盛期と変わらぬテンションです。 しかし2000年2月にLonesome Daveは癌で亡くなってしまいます。 結局生のライブを観る事はかないませんでしたが、今後も彼とFoghatの残した音源がどんどん出てくるでしょうし、噂のライブの片鱗だけも味わえる音や映像も発掘されると思います。Lonesome Dave がいないFoghatを買うことはもうないでしょうが、彼の居た時代のFoghatについては、たぶん出れば即買いということになるのでしょうね。 そう、Lonesome DaveとRod Priceの両親分に隠れ忘れられがちががプロデューサのNick Jameson(一時期ベーシストとしても参加)は元々はBeasvilleのハウスエンジニア兼プロデューサーです。BeasvilleにはTodd Rundgrenという花形がいたので、彼の方はあまり目立っていませんが、SparksやP.Butterfield意外なところでChris Smitherなどのアルバムで名前を見つけることができます。 Foghatが80年代にBeasvilleを離れてからの消息はよくわかりません。唯一1986年にMotown(!)からソロ・アルバムを出しています。ジャケット写真からすると彼に間違いないと思います。中身はAOR寄りのホワイトソウルです。 最後にフォガットのディスコグラフィを記載しておきます。 70年代と90年代はどれを最初に聴いても絶対後悔することはないと思います。 ちなみに1999年のKing Biscuit Flower Hourはテンションの高いライブ演奏が聴ける好盤です。 が、同じ内容の「Hits You Remember Live」あるいは「Live 2000」というCDがちゃんとしたレーベルから出ています。 ボクは知らずに買ってしまい泣きをみましたが、買うならFoghatの意志として発表した「King Biscuit Flower Hour」を。 Discography 1972 Fo

Return of Foghat

イメージ
1994年にオリジナルメンバーに戻って「Return Of The Boogie Men」を発表。 昔と変わっていません。さすがに多少テンションは落ちていますが、自分達のやりたい音だけを出していると思うし、曲のレベルも高いし、さすがに苦節25年のベテランらしいアルバムです。ちょっと時代を感じさせるのは、アコースティックセットが入っていることです。でもそれはそれで彼等にとっても新しいチャレンジなので文句は言いません。 僕も最初はどうかなぁと思って聴いたのですが、これならOK。昔より渋いし。あぁ後はライブが観たいよ〜、Lonesome Daveは年を取ってもワイルドなのかなぁ? などと思っていたら... この面子でツアーにも出てしまいました。 今回の再発からは何故か落ちてます。なんでだろう・・・

Foghat at last

1982年のラスト・アルバム「Zigzag Walk」 英国のNW系バンドがチャートを席巻していたこの時期、もうこういう音に対する需要はどんどん少なくなってきてようで、最後もどっち付かずのこのアルバムを出して長いようで短いFoghatの活動はとりあえず終わることになりました。 今回の再発でも例えばStone BlueとZigzag Walkの値段が同じというのは納得いかないですね。Stone Blueが2,500円ならこっちは500円くらいでもいいと思います。   そして、このアルバムを最後にBeasvilleを離れ、レコード会社との契約は打ち切り、ツアーで、いわゆる営業バンドとして活動をはじめます。が、結局それもうまくいかず、1985年にはすべての活動を停止してしまいます。 (正式に解散を発表したのは1990年。逆にいうと、それまでの数年間、僕も含めたファン達は、いつもFoghatのニュースや新アルバムの噂をチェックし待ち続けていたのです) さらに1985年から1990年まで、ドラムのロジャー・アールがFoghatの名前を借りてロードに出ていました。 Eric CartwrightとCraig MacGragorも一緒だったので、まぁ最後期とあまり違わない音を出していたのだろうと思いますが、Lonesome DaveのいないFoghatをFoghatと認める訳には行かないというのが正直な心情です。 同じ時期、Lonesome Daveは元モリー・ハチェットなど若手ミュージシャンとバンドを組み、クラブ回りなどをしていたようですが... 1990年になるとLonesome Daveの方もFoghatという名前を名乗ります。したがって、1990年から1993年にかけて、米国内にはFoghatという名のバンドが2つ存在したことになります。 ひとつはRoger EarlのFoghat。創業者が辞めた老舗旅館を堅実に守った番頭さんのバンド。 もうひとつはLonesome DaveのFoghat。自分が創業した旅館をいったん辞めるも夢捨てきれず、同じ看板で新たに創業したバンドというところでしょうか。

Foghat '80s

美しかったフォガットの70年代が終わり、80年代は試行錯誤の時代。個人的には試行錯誤なんかしなくても、ブギロック道を追求していれば何の問題もなかっただろうにと思うのですが。 1980年代に入っての最初のアルバムが「Tight Shoes」。フィオルッチの広告みたいなカバーで、内容もかなりテンションが落ちて来ています。 1981 年には「Girls To Chat & Boys To Bounce」を出しますが、ロッド・プライスが抜けて代わりにEric Cartwrightが入ったり、プロデュース兼ベースにNick Jamesonが戻ったりと人間関係のごたごたも続きます。音の方は80年代パワー・ポップ。 それでもけたたましいサウンドにポップなメロディそしてキメのフレーズというFoghatらしさは残っていたのでファンとしては見放させないのです。 1981 年の「In The Mood For Something Rude」はR&Bのカバーアルバム。もともとブルース・バンド出身。これまでもR&Bフィーリング溢れる曲と演奏をみせていた Foghatなので、まあ出して当然、いったんルーツに戻ってということなのでしょうが、正直言って期待外れでした。 (ジャケットの美女の胸元が、裏ジャケでアップになっているのに、メンバーの頭が邪魔して肝心な部分が見えません...これも期待外れだな) もうこういう音が大手を振っていられる時代ではなくなりつつありました。ただLonesome Daveは、パンクなどに自分と近しい感覚を感じていたようで、自分達にとっても追い風になるだろうと思っていたようですが。

Foghat 9th

1979年の「Boogie Motel」 基本路線は前作を踏襲していますが、残念ながら前作ほどの緊張感はありません。毎回あれほどのタイトな音を出していたのでは疲れちゃいますからね。人間関係も緊張しそうだし。 とはいえ、これも決してレベル以下というわけではありません。 Paradise Alleyのような、デビッド・リンドレーも真っ青な美しいスライド・ギターをフィーチャーした曲もあれば、Somebody's Been Sleepin' In My Bedみたいなこれまで通りのブギロックもありで、これまたヒット。 でも時代は確実にパンク/NW時代な訳でして、たぶんFoghatが何も考えず自分達の音楽を演って、なおかつそれが売れたというのはこのアルバムが最後になってしまいます。

Foghat 8th

1978年の「Stone Blue」はエディー・クレイマー(ジミヘンなんかが有名)がプロデュース。 これぞロックのマスター・ピース。Fogahtの最高傑作にしてブルース・ロックの究極の到達点! 個人的にもめちゃくちゃ好きです。僕の葬式では、このA面(CDなら4曲目まで)をエンドレスのBGMにして、みんなで盛り上がって欲しいです。うるさいから止めろと言ってくる奴が絶対いると思いますがそういうのは放置で。 で、何がこんなにスゴイかというと、とにかく演奏とサウンドに緊張感があってタイト。良い演奏というのは手慣れたルーチン仕事からは生まれてこないということですね。 さらに、今回はブルーズ名曲を問答無用のハードロックにアレンジするやりかたも冴えています。ここでカバーされているのは、Robert Johnsonの「Sweet Home Chicago」と「Terraplane Blues」、Elmore Jamesの「It Hurt Me Too」など。 とにかくA面のEasy MoneyからMidnight Madnessにかけての4曲はいつ聴いてもテンション保証付き。特にMidnight Madnessはハードロックとしてもサイケデリックとしても聴けます。ほんとギターはトチ狂っといるとしか言えません。

Foghat 7th

さて、1976年にはベーシストのNick Jamesonがカリフォルニア人のCraig MacGregorに交代するという事件があります。 これはNick Jamesonがツアーに出たがらなかった為らしく、ライブバンドたるFoghatでライブが出来ないというのは死活問題ですから。ただしベーシストとしはバンドから離れましたが、プロデューサーとしてはその後も一緒に活動していきます。 さらに1977年に待望の「Live」を発表しています。 ライブバンドとしても評価が高いバンドの初のライブ・アルバムだった訳ですが、1枚組で7曲入り。 正直言うと2枚組にして欲しかったなと思いますが、噂のライブを聴けるだけでも当時的にはOKでしたね。中身はまさに「保証書付き」って感じですから。 売れれば勝ちという訳ではありませんが、このライブはダブル・プラチナ。まさにピークを極めた時期ですね。 今回の再発ではボーナス曲が追加されるということで期待したのですが、シングル曲を追加しただけ。 この時のアメリカツアーのライブ、いつの日か完全版が発売されることを期待しています。

Foghat 6th

1976年には6枚目となる「Night Shift」を発表。 ナイト・シフト=夜勤なんて、ホワイトカラーな職業には全然関係ないすからね、もうアルバムタイトルからして労働者階級(笑 ですが、このアルバムはおそらくフォガット初の問題作。 これはプロデュースがEdgar Winter GroupのDan Hartman。はっきり言ってこいつがいけない。音が売れ線に寄り過ぎです。 曲も演奏も決してパワーダウンした訳ではないのですが、滑らかすぎるアレンジやガッツが足りない録音が... もちろんアルバムが売れていたことには変わりありませんが。 Al Greenの「Take Me To The River」なんて曲も演っていますが、これはアイディア一発物で、残念ながら面白くもなんともありません。 思うに、ダン・ハートマンはエドガー・ウィンターところの番頭でして、雑食性ハードロックのエドガーとの組み合わせだと、そのアレンジャーとしての才能やポップソング・ライターとしての才能を発揮できて懐刀として機能したんでしょうけど、ハードロックでもどちらかというとシンプルで泥臭いブギに真骨頂を発揮するフォガットとは食い合わせが悪かったんでしょうね。

Foghat 5th

1975年の大ヒットアルバムで彼等の最初のプラチナ・アルバム「Fool For The City」。アルバムは当然大ヒット、シングルの「Slow Ride」も当然大ヒット。 このアルバムとSlow Rideがフォガットを語るときの代名詞にもなってるくらいの代表作。 アメリカではこの頃から西海岸にも人気が広がり、全米規模の人気バンドになり、ラジオでもばんばんかかっていた時期です。 また、個人的にも2番目に好きなアルバムです。相変わらずのけたたましいハード・ブギー・R&Rもたっぷりあるし、Nick Jamesonが書くバラード物も新鮮だったし、売れて当然だったと思いますね。 このアルバムでのカバー曲は「My Babe」。ライチャス・ブラザースのヒットですね。 そういえば、最初の頃のフォガットは中村とうようさんがシンコー系のどっかの雑誌で「フォグハット」と紹介してしまったため1st、2nd辺りはフォグハットと呼ばれていましたね。 なんで中村とうようがフォガットの紹介をしていたかというと、フォガットの前身バンドSavoy Brownというブルースバンドだったからではないでしょうか。あくまで憶測ですけど。

Foghat 4th

イメージ
1974年にはもう1枚、アルバムを出しています。 これがその「Rock And Roll Outlaws」。 たぶん、これは彼等の大きな転機になったアルバムでしょう。 まず、プロデューサーがNick Jamesonに変わりました。プロデューサー、エンジニアとして大きな実績がある人ではありませんが、音楽的な趣味嗜好がバンドと一致していたこと、年齢的にも近しいこともあり、その後バンドのメンバーになったりしながらFoghatのプロデュースを続けていくことになります。 そして音も変わりました。最初の2枚はひたすらソリッドでハードなブギーを演奏していたのが、この頃から「Dreamer」のようなポップな曲が出てきたり、ミドルテンポ、スローテンポのバラードなども演奏するようになりました。 たしかに当時はごりごりのハードロックなどより、ドゥービー・ブラザースとかクイーンなど乾いたハードロック、ちょっとポップなハードロックの方が売れるようになっていましたから、その辺を意識したのだと思います。 結局その方向性の微修正が尾を引き、80年代以降はパンク/NWの音に慣れたリスナーから典型的なオールドウェイブのようにみなされ、人気ちょう落に繋がったような気がします。あのままソリッド・ハード・ブギ・バンドを維持し続けていれば、全く別なリスペクトを得られたのになぁと、今になれば思います。   ← Rock And Roll Outlawsの裏ジャケ写真 パンタロン、ぎんぎらジャケット、長髪、意味のない腰の拳銃。 70年代前半的な、ロックスター的コンテキストでは「格好よい」。ワーキングクラス的センスでみれば「俺もああなりてぇ」 パンク/NW以降のセンスでみれば 「ださい」「頭悪そう」 でもそんなこんなも飲み込んで、売れる為の努力をしながら音楽としてのブギ、ハードロックの格好良さをも追求していたこの頃のフォガットが大好きなんですけどね。

Foghat 3rd

翌1973年、またまたFoghatというタイトルの2ndアルバムを出します。 便宜上、1972年物を1st、1973年物をR&Rと呼ぶことになっています。ジャケットの写真を見てもらえれば判るのですが、Rock and Roll、つまり小石とロールパンというジョークの効いたジャケットですね。 またこのアルバムは彼等の最初のゴールド・アルバムになりました。 このアルバムからの音はもう完全にフォガット節。ツィン・ギター、シンプルなリズム、決めまくりのサビ。 きっとアメリカのフリーウェイなんかを走りながらFMからフォガットが流れてくると思わず一緒に歌ってしまうだろうなぁと思いますね。 実際、日本でもそうしてたんだから。フォガットだけで90分のテープを作り、一人で海へ行くときは行き帰りもフォガットを大音量で一緒に歌い、帰ってくるとノドががらがら。波乗りに行ったのやら、カラオケに行ったのやら(笑 そして1974年に「Energized」(邦題は「電撃フォガット」!!)を発表。 もうこの時点でFoghatはロックの主流も主流、あのバッド・カンパニーを前座にするわ、コンサートはいつも満員だわで、人気は最高に盛り上がっていました。ただし米国内だけ。日本では寂しいものでしたが。 このEnergizedにはビッグ・ジョー・ターナーの「Honey Hush」(ただしアレンジはジョニー・バーネットバージョン)やバディ・ホリーの「That'll Be The Day」といったカバーも含まれています。特に前者は、ヤードバーズやエアロスミスでもお馴染みのあの曲、つまり「トレイン・ケプト・ア・ローリン」の元ネタでもあります。 まぁ音は当然フォガット節。 頭の良い奴は絶対聴いてないだろうなぁというワーキングクラス御用達、今ならDQN系なんすかね? でもこのノリに身体が反応しないようじゃロック聴いても面白くないでしょう。

Foghat 1st

Foghatの創始者はLonesome Dave Peverett。あたまに"Lonesome"が付くのは、シャイで静かなプライベートライフから付けられたあだなです(でもライブではメチャクチャ派手)。 1960 年代後半に一世を風靡していた、ブリティッシュ・ブルーズ・ロックシーンの中で、Fleetwood Mac(全然別のバンドになって今も?存続中)、Chicken Shackと並ぶ3大ブルースバンドと称されたSavoy Brown(Kim Simondsをリーダーに今も活動中)でリズム・ギターを担当していたLonesome Daveが、ベースのTony Stevens、ドラムのRoger Earlと一緒にバンドを抜け、リードギターにRod Priceを加えて1971年にFoghatを結成します。 そして、いきなり活動の拠点をアメリカに移し(好きなブルースマンが沢山いるから)、Beasvilleレーベルと契約し(新興かつ小規模、だけど敏腕経営者がいるので)、1972年のこの1stアルバムを発表します。録音はRockfieldスタジオでプロデューサーはデイブ・エドモンズ! ゲストにはトッド・ラングレン(たぶんBeasvilleからのお目付役)やアンディ・フェアウェザー・ロウ(AFL)などが。 元Savoy BrownがDave EdmundsプロデュースでBeasvilleレーベルからウェールズ録音のアルバムを出す。これじゃぁどんな内容か想像も付きませんが、実際はいたってシンプル。Savoy Brownからブルース味を多少薄め、薄くなったところにR&B風味を足し、切れ味も良くした音を出しています。 彼等のライブでの定番になる「I Just Want to Make Love to You」(Willie Dixonのカバー)で幕を開けるごきげんなハード・ブギ・アルバムです。

Foghat(1)

イメージ
Foghatのほぼ全アルバムが紙ジャケで再発されているので、自他共に認める日本一のフォガットファンとしては黙っちゃいられない(笑 これまであちこち書きなぐって来たFoghat情報をひとまとめにします。 さて、 1970年代のBeasvilleレーベルの財政面を一人で背負っていたのは、Beasvilleレーベルからはちょっと連想しづらい、英国ブルーズ界出身のFoghatでした。 英国よりも米国の、それもどちらかというと東海岸から南部にかけて人気があったようですが、日本ではほとんど売れなかったと思いますが、「子供バンド」みたいにかなり影響を受けたバンドもありました(実際、うじきくんはFoghat大好きだというし)  ブルースベースのハード・ブギーが彼等の身上で、その一芸で70年代に5枚のゴールドアルバムと2枚のプラチナアルバムを残しています(要するにほとんど全部)。  ただ当時のオールドウェイブ・バンドの例にもれず、パンク/NW以降は時代の流れに付いていけず徐々に失速。1985年にいったん活動を停止してしまいます。  なんて冷静かつ客観的に書いてはいられません。だってめちゃくちゃ大好きなんだもの、フォガット。初めて音を聴いたのはFool For The Cityの頃。それから30年、こりゃだめだと思う時期もあったけど、フォガットの新作が出れば迷わず買い、一時ツアーに明け暮れた時期もじっと新作が出るのを待ち続け、20世紀最後の復活にはとても感激していたのに。バンドの創設者で、シンガー、ギタリスト、ソングライターだったロンサム・ディブは 2000年の2月にガンで亡くなり、バンドとしてはそこで一区切り。 歴代のメンバーを年代順に列挙しておきます。 1971-1975  Lonesome Dave, Rod Price, Tony Stevens, Roger Earl 1975  Lonesome Dave, Rod Price, Nick Jameson, Roger Earl 1975-1980  Lonesome Dave, Rod Price, Craig MacGragor, Roger Earl 1980-1983  Lonesome Dave, Eric Cartwright,

和久井光司

元スクリーンの和久井さんがソニーに移籍し、オリジナル盤とカバー集を同時発売! 今は評論/執筆活動がメインのように思われているけど、やはり圧倒的な音楽知識体験を元にした演奏活動も捨て難いです。

Dusty In Memphis

Dusty Springfieldが1969年にAtlanticに移籍し、メンフィスでレコーディングした盤。この「デラックス版」は、オリジナル盤に未発表曲など14曲が追加されています。  Dusty は1939年英国生まれ。世代的にはジョン・レノんなんかと同じですが、幼い頃からショービズ界にデビューした、一般的には「芸能界」の歌手とされている人です。ロック業界では10年ほど前にペット・ショップ・ボーイズに引っ張りだされてカムバックしたことが知られているかもしれません。当時は、オカマ系にも人気があるPSBがオカマ好みの年増歌手を引っ張り出した程度の認識でいたのですが、そうじゃないちゃんとしたリスペクトの上での共演だったことが、この盤を聴いて判りました。  オリジナル盤はメンフィスのアメリカン・スタジオでジェリー・ウェクスラー、トム・ダウド、アリフ・マーディンをプロデューサーに、レジー・ヤングなどメンフィスのミュージシャンがバックを努めています。ですので、音はもう当時のアトランティックのソウル/R&Bそのまんま。アリサ・フランクリンが歌っていてもおかしくないような音が出ています。  今回のデラックス版は、そこにNY録音の11曲と、ギャンル=ハフによるシグマ・サウンド録音(!)2曲が追加されいます。  この盤が出るまでDusty Springfieldなんて聴いたこともなかったのですが、これは凄いです。唄上手いし、迫力もあるし。当時の白人女性シンガーがソウルした中で、これは白眉ではないでしょうか。年増の若作り風カマトトな歌い方からゴスペルフィーリング丸出しまで、何でもこなしています。う〜んまいった、ホントに。  これ聴くと、本物の歌手ってのは、バックの音とか曲とか、そんなもの関係無しに人を感動させることができるのだと実感できます。エディット・ピアフは「電話帳を歌っても人は感動するだろう」と評されたそうですが、それもさもありなんと思います。  1969年、日本では美空ひばりがミニ・スカートに身を包んでGS歌謡曲を歌っていた頃かな(今や想像もできないけど)。美空ひばりや雪村いづみのメンフィス録音なんてのも聴いてみたかったなぁ。当時の日本にそれだけの戦略的プランを持ってかつグローバルに音楽的動向を把握できているプロデューサーがいれば、実現できていたかもしれないのにな、残

Red Dirt Girl

エミルー・ハリスの2000年のスタジオ作「Red Dirt Girl」。70年代中ごろはポップ/カントリーのフィールドでグラミー獲ったり、L.A.ロック人脈との交友でロック界でも有名だったりしたのですが、不毛の80年代を過ごしてしまいましたね。  僕も70年代のエミルーは、単なるカントリー・ロックの女性シンガーくらいの感覚でいたのですが、ここ数年の尋常でない音作りはそうした評価を一気に覆しています。  今になって振り返ってみれば、グラム・パーソンズ( ロックバンドのスタイルでカントリーをやったカントリーロックの先駆者。元バーズのメンバーでもあり、フライング・ブリトー・ブラザースの創始者。ストーンズ(特にキース)との交友でも有名。ストーンズの「Wild Horses」はグラムのことを歌った曲。1973年にカリフォルニアの砂漠町Joshua TreeにてODで死去。エミルー・ハリスはグラムのバックバンドメンバーでもあった。 )の最後のパートナーは彼女だったわけで、70年代当時の彼女にしてみれば、どれだけ意識的だったかはともかく、グラム的な音を継承したいけれど状況的に思うようにできないといった感じだったのでしょうか。  で90年代以降は彼女自身、自分こそがグラムの正当な後継者でカントリーひいてはロックの領域での表現拡大を目指そうと意識しているのでしょう。( 余談だけど1980年代には数本の映画に出ているはず。僕が把握しているだけでは「The Last Waltz」例のThe Bandの解散コンサートのフィルム(あ、これは1970年代だ)。「Honeysuckle Rose」ウィリーネルソン主演。邦題は「忍冬の花のように」。 )  音の方は昔のエミルーしか知らない人が聴いたらびっくりすでしょうね。もはやカントリーではない!でも、音はカントリーじゃないけど、心はカントリー。基本的にはロックバンド編成で、特に目立つのがドローン・ギターと全体的なエコー処理。以前ダニエル・ラノワがプロデュースしていたけど、あれじゃアイルランドのバンドみたいになってしまうので、前作(?)からマルコム・バーンがプロデュースと全体の音づくりを担当しています。  いちおう参加ミュージシャンを列挙(登場順)すると、ダリル・ジョンソン、バディ・ミラー、ブルース・スプリングスティーン夫妻、ケイト・マクガリグル(

Stevie Nicks

Stevie Nicksのベスト盤というと数年前にキャリアの集大成ともいえるBoxセットが出てますが、今度はちょっとボリューム的にはライトだけど、中身は濃いベストアルバムが出ましたね。  これはこれで興味深いベストなんだけど、やはり話題はこの間、1枚しか出てないオリジナルアルバムの方。  90年代の諸作って正直どれも今一つの出来だったし、顔つきなども覇気がなくなったような感じで、ほぼ終わった人と思っていました。でもいちおうファンとしては未発表テイクがあるからとボックスセットを買い、久しぶりだからとTrouble in Shangri-Laもおつき合いで購入し聴いてみたんですが、はっきり言ってTrouble in Shangri-Laって今までで一番良い部類ですよ。誰も何とも言ってくれないけど最高傑作なんじゃない?  事前の情報ではシェリル・クロウがプロデュースということだったけど、彼女がプロデュースしたのは全13曲中5曲のみ。残りはスティービーとジョン・シャンクスなどのプロのプロデューサ達。  シェリル・クロウのプロデュースした曲は、いかにも彼女らしい土臭いグルーブのサウンドで、意外にもこれがスティービーの歳を取って凄みが加わった声に合うんですねぇ。  もちろんこれまでのスティービーのアルバムみたいなきんきらきんの豪華絢爛サウンドも健在。とにかく今作は曲が良いです。80年代の彼女のアルバムに必ず1曲はあったキメのハードロックはないけれど、曲とサウンドのアベレージがとにかくめちゃくちゃ高いのが今作。そこが「一番良い」と思う所以です。  あ、面子の方はですね、シェリルがプロデュースした曲はハートブレイカーズ組をメインにフィーチャー。それ以外は打ち込みをメインにワディ・ワクテルなどセッションミュージシャンをスパイスに使ってます。  さらにこのアルバム、アメリカでもかなり評判が良くてチャート的には初登場いきなり5位。彼女のアルバムとしては過去最高位です。  ほとんど復活と言ってもよいくらい充実した内容とそれに見合うチャートアクション。とても90年代を寝て過ごした人とは思えません。シェリル・クロウがプロデュースでサラ・マクラクランやディキシー・チックスなどが参加していて、これはズバリ例のリリス・フェアの仕掛人たちによるスティービー・ニックス復活プロジェクトが組まれたのではない

I'm Not There

忘れないよう、備忘録的に。 Velvet Goldmineが忘れられないトッド・ヘインズの最新作はボブ・ディランをテーマにした「 I'm Not There 」。 アメリカでは来週11/21から公開開始。でも日本公開は・・・未定。 でもサウンドトラックは日本盤が発売になってます。 サブタレニアンホームシックブルースの有名なプロモーションフィルムに合わせて メッセージを送れるサイト も既に話題になっていて、もちろん日本からも送信できます。 まぁとにかく何時になるかわからぬ日本公開までひたすら待ち続けることにします。 でもトッド・ヘインズだし、有名俳優も多数出演だし、意外とあっけなく公開されるとは思いますが。 予告編は初期版の方が格好良いと思うのでそれを紹介します。

Chrome Dreams II / Neil Young

Neil Youngが30年前に制作にとりかかるも結局リリースにいたらなかった「Chrome Dream」 そのアルバム用に書き溜めた曲に新曲を追加し「Chrome Dreams II」をして発表したのがこのアルバム。 30年前だからAmerican Stars 'n BarsとComes A Timeとの間かな? まぁ放っておけばいくらでも名曲を書いてしまう時期のニール・ヤングだから、曲に関しては心配なし。そして、還暦過ぎてさらにワイルドになっている演奏力を鑑みると聴く前から傑作だろうと判ってしまいますね(笑 とりあえずこれは買うということで。 ところで、このアルバムは全10曲。 それに対抗してUNCUTでは「ニール・ヤングには未発表の名曲がまだまだあるぞ!そのベスト10」というのをやっていました。 論評抜きで以下のとおり。 Bad Fog Of Loneliness (1971) Love Art Blues (1974) Bad News (1974) Hitchhiker (1975) No One Seems To Know (1976) Lady Wingshot (1976) Sad Movies (1976) Berlin (1982) Grey Riders (1985) Sixty To Zero (1988) さて、何曲ご存知?

Led Zeppelin III

ジミー・ペイジの名誉のために、Led Zeppelinの3rdアルバムをご紹介。 意外と忘れられがちなこの3rdですが、個人的には大好きだった暴走王キングコング・ブルーザー・ブロディのテーマソングでもある「移民の歌」と、「タンジェリン」が収録されていることもあり、かなり好きなアルバムです。 移民の歌についてはそのうち別の記事で書こうかなと思うので、まずはタンジェリン。 ゼップの曲で、ジミー・ペイジ単独のクレジットになっているのはこのタンジェリンとフィジカル・グラフィティ収録の「ブロン・イ・アー」だけ。後者はギターソロなので、歌入りの歌曲としては実質この1曲だけなんですね。 その後のフォー・シンボルズへの習作とも捉えかねられないけど、いやこの時点で既に音的にも詩的にも目指す世界は完成していたんだと考えるべきでしょう。 YouTubeにあったTangerineをご紹介。 しかし、Tangerineですぜ。タンジェリン・ドリームというプログレバンドもあるし、お空のルーシーの周りにはタンジェリンの木もあるらしいし。 やはりそっち系のキーワードでもあるんですよね。 さらに! タンジール(英語読み)〜タンジェ(アラビア語読み)つまりアラビアからのオレンジがタンジェリン。 ここで昨日のジェイソン・ボーンと繋がりましたなぁ。 まぁなんでルーシーの周りにタンジェリンの木があるかというと、ぶっ飛んでいる時にはタンジェリンの色が目立つからという話も聞いたことがありまして、おそらくその辺からアシッド系のキーワードとしてタンジェリンという単語が使われているんでしょうね。

Led Zeppelin, now

イメージ
最新のMOJOの表紙なんですが、まぁ見てください。 LED ZEPPELINという名前と共にオヤジが3人。ジョン・ボーナムは既にいないので、この3人はロバート・プラントとジョン・ポール・ジョーンズとジミー・ペイジのはず。 左側の長髪でワイルドな人物は還暦間近のロバート・プラントでしょう、右側の一癖ありそうな飲み屋のマスター風人物はジョンジーでしょうね。ということは真ん中の若い頃の長門裕之が機嫌を損ねているような風情の人物がジミー・ペイジ・・・ いや、そんなことは当然わかっちゃいるんですが、パーシーとのあまりの違いに思わず皮肉っぽく書いてしまいましあた。 表紙ではこんな顔してますが、記事では温和なおじいさん風ショットがフィーチャーされていて一安心ではありますが。

最後の暗殺者

イメージ
結局、ジェイソン・ボーン三部作の最後、「最後の暗殺者」もとい「ボーン・アルテイメイタム」観てきました。 1,2,3とストーリーはともかく、映像とか金の掛け方がどんどん派手になりましたが、基本的な映画のテイストは同じ。 ホントにスタート呼べるのはマット・ディモン君だけ。他は知名度は低いけど確かな演技派で固めているので、アクションだけを見せるわけでもなし、ストーリーで引っ張るだけでもなし、これみよがしな映像もないし、それぞれ各方面でポイントが高い、ホントに良質な映画。 きっと何度見ても飽きないだろうな。 ということもあり、ヒルズのバージンのでっかいスクリーン(7番)の結構前方の席で観ました。別に混んでいて前方しか空いていなかったのではなく、でっかいスクリーンで観たいなと思ったので。 しかし、アクションシーンは動きが激しくて目で画面を追うのが大変、疲れましたね。 でもうれしかったのはモロッコのタンジールの街が大々的にフィーチャーされていたこと。 やはり一度は行ってみたい都市ナンバーワンはタンジールでしょう。ビートニク以降のカウンターカルチャーに興味ある人なら、無関心ではいられない街ですからね。 エスピオナージ+アクション、そして冒険小説。一粒で何度も美味しい映画。一気見とかやらないかなぁ。

隠し砦の三悪人’

イメージ
実家が信州上田でして、たまたま今週も帰省してます。帰省といっても新幹線で1時間だし普通に通える距離/時間なので「帰省」というほど大げさな言葉はどうかと思うんですが。 帰ってから気がついたのだけど、今週末は「 うえだ城下町映画祭 」というのをやっていまして、プログラムをチェックしてみれば「 けんかえれじい 」に「 八月の濡れた砂 」。うぅー、スクリーンで観たかった。 けんかえれじぃのあの有名なぼっちゃんシーンもたしかこの近所で撮影されたはずだし(笑 とにかくこの映画祭、数年前には「 太陽を盗んだ男 」まで上映したし、けっこう気合い入ってます。 で、結局上映時間が過ぎてからその存在に気付くという間抜けな土曜日だったのですが、なんとあの黒澤明の傑作にしてルーカスがスター・ウォーズでパクった「 隠し砦の三悪人 」のリメークが進んでいるという情報をゲット。撮影しているんで間違いありません。 公開は来年のGWを予定。 そういえば「 椿三十郎 」のリメイクも予告編を何度か見かけたけど、どうなんでしょうかねぇ。脇役層の衰退振りからすると、映画としてどうか非常に心配。 隠し砦の方も恥ずかしくないリメイクになるよう祈るばかりです。まぁどうせ観ないだろうけど(笑

暗殺者

20年くらい昔、まず欧米で人気が出て、その後しばらくして日本でもそれなり人気の出た小説家ロバート・ラドラム。 エスピオナージという分野そのものが目新しかった当時、そのハードボイルドを通り越したドライな中身にハマった読者も多いと思います。 ただふと冷静に考えると「こりゃヤリ過ぎだよ」と思わないこともないのが難点か。 その辺りは この駄文 も参照ください。 短かったピークを過ぎた後は、なんじゃこれ的な駄作を連発しすっかり過去の人になってしまいましたが、その中でも自他ともに認める最高傑作がジェイソン・ボーンを主役にした「暗殺者」とその後の3部作。まぁ「暗殺者」一作だけでも十分ですが。 他にもサム・ペキンパーが監督した「オスターマンの週末」(あ、映画のタイトルはバイオレント・サタデー)なんてのもあったり、とにかく濃い小説をいっぱい書いているのですが、残念ながら風化せずに残ったのは暗殺者だけみたいです。 しかし、まさかこの「暗殺者」シリーズがマット・ディモン君のハマり役として、こんなに大ヒットするとは思いませんでしたね。逆にジェイソン・ボーンは知っているけど、ラドラムの暗殺者知らないという人の方が多いんじゃないでしょうか。

Fire and Rain - 旅立ちの時

Running On Emptyといってもジャクソン・ブラウンじゃなくて、シドニー・ルメット監督リバー・フェニックス主演の映画「旅立ちの時」の方。 この映画の中の重要な場面とラストでも使われているのがジェイムス・テイラーの「ファイヤー・アンド・レイン」。映画館では観る事ができなかったけどその後深夜TVでも放映され、DVDをレンタルし、その度に胸が締め付けられるほどの切なさにいたたまれなくなる映画と曲です。 映画の方は60年代末から70年代初頭の激動の時代に活動家としてFBIから追われる身になった夫婦とその子供達の物語。 この曲Fire and Rainはその夫婦のもとにかつての活動家仲間が集まるパーティシーンで流れます。まさに火も雨も経験した人々が別れざるを得なかった人々を思い踊るシーンが忘れ難いです。 そしてラスト、親と子がそれぞれの幸せを願いつつ別れるシーン。ここで再び同じ曲が、いつか再会できるであろうという希望を願う歌として使われています。 Fire and Rain、その曲単独でも素晴らしい曲なんですが、ボクにとってはこの映画で使われたことでさらに印象深く忘れられない名曲となりました。ちょうど最初の結婚をした頃でもあるし(笑 最近なんどか思わぬところでこの曲を耳にする機会があり、思わずセンチになってしまいました。 リバー・フェニックスは早すぎる死を迎え、ジェイムス・テイラーはすっかり髪が抜け、この映画を一緒に観た女性とは既に別れ、ボクもまた新らたな転機を迎えつつあり・・・いつになくジェイムス・テイラーの声が心に染み、映画の親子のその後に思いを馳せています。 Amazon.co.jp ウィジェット

ブレイブ・ワン

金曜日夜にジョディー・フォスター主演の「ブレイブ・ワン」を鑑賞。 ジョディに関してはもう絶対観る。 映画のテーマは・・・うーむ2007年のタクシー・ドライバー。 1977年のトラビスと2007年のエリカは動機も結末も異なるけれど、社会に対する恐怖と不安そして都市の狂気を描いたところは全く同じ。 奇しくもタクシー・ドライバーで重要な役を演じたジョディーが30年後(!)にこのような映画に出ることには因縁を感じるますね。 ただ監督がマーチン・スコシージとニール・ジョーダンですからね。レッドソックス対楽天イーグルスみたいなもので勝負になってません。 まっニール・ジョーダンも職人なのでそれなりの絵にはなっているけど、細部の詰めが甘い甘い。 特にラストなんかどっ白けもいいところですって。刑事コロンボでなくてもあの程度の細工は見破ってしまいますって。 エリカが最初に銃を使う場面、場末のドラッグストアで図らずも・・・というのは完全にタクシードライバーへのオマージュ。ただその後の展開は犯罪映画として落第だなぁ。 ジョディーフォスターあるいはジョディの演技を堪能したいのであればお勧め、タクシードライバーとの対比を考えながらアメリカと、現代社会を考えたい人にもお勧め、純粋に映画として楽しみたければもっと良い映画はいっぱいあるよ・・・という映画でした。