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LPをリッピング

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SONYからUSBインターフェイス内蔵のレコードプレイヤー「PS-LX300USB」ってのが発売になる模様。 これで死蔵してあるLPをリッピングして・・というのがウリの一つみたいだけどちょっと待った(笑 LPからのリッピングをウリにした製品はこれまでも幾つか出てますね。 ただ今回はれっきとしたAVメーカーであるSONYからというのがキモで、そこがニュース価値にもなっているんでしょうけど、実際にこの製品を必要とするユーザってどういう人? ・基本的にはLPをいっぱい持っている人  LP数十枚から数百枚レベルならCDに買い替えた方が得 ・でもLPプレイヤーもAVシステムも持っていない  あれば買う必要なし つまり、LPを1000枚とかそれ以上所有していて、かつプレイヤーもない。そんな奴っているのか? まぁ例えば実家にLPが山ほどあり、AVシステムもあるけど、何年もLPプレイヤーを使っていないので腐ったあるいは壊れた、あるいはプレイヤーを捨てられてしまった人が該当するのかな。 プレイヤー単体でみると、ベルト駆動でRIAAイコライザー内蔵。山のようにLPを持っている人なら、もっとちゃんとしたプレイヤーを持っていると思うのだけど。 イコライザーにしてもプライヤー内蔵レベルとは比較にならない立派なイコライザーアンプを持っているいるんじゃないですかね。 なので、こんな安物プレイヤーを買うより、既に持っている立派なプレイヤーにオーディオキャプチャー(例えばRolandのUA-4FX)を組み合わせた方が、総合的には安く済むし、ちゃんとした音質でリッピングできると思うのですが。 そういうのが面倒くさい、あるいは知らない人向けの製品ということなのかなぁ。 さて、LPからリッピング、機材とソフトがあっても、その手間は想像を絶しています。 既に数百枚のリッピングをこなしたボクが言うのだから間違い無し。よほどの暇と根性がないと、せっかくこういう機材を用意しても挫折しちゃうかも。 大きな問題点は2点。 第一点は、「LPは等倍速でしかリッピングできない」 これはけっこう大きいです。CDだと10倍速くらいでリッピングできますからね。でもLPは実時間。A/B面で40分のLPならリッピングにかかる時間も40分。 一日10時間かかりきりでリッピングしても15枚しかリップできません。これが2枚組とか、下手した

Maria Muldaur

しまった。 この人生において二番目くらいに重大な失敗かもしれない。 3月6日のマリア・マルダー日本公演に行くのを忘れていた・・・ その前日、Bird Song Cafeでマスターと「Tom's Cabinの聴かずに死ねるか、マリア・マルダーだから行かなくちゃね。」という会話を交わしたばかりなのに、6日になったらすっかり忘れていた。 もう二度と観れないかもしれないのに。 70年代のソロデビュー作から4枚目くらいまではその歌声、サウンドそして色気過剰な佇まい含めて文句の付けようのないオールド・タイム・レディー。 この辺りのアルバムを聴きまくった人も多いでしょうね。 80年代以降のブルース路線も大好きで、少し貫禄を増した体型で南部音楽どっぷりの歌を聴かせてくれてました。 個人的には「Louisiana Love Call」があの頃の最高傑作かな。 70年代には売れ線の音楽を意識しちゃった頃もあるけど、80年代以降の完全にマイナー落ちしてからの芳醇さもたまりません。 あー、しかし、ホント聴かずに死ねるかだよなぁ。残念。

あーあ日本の歌謡曲かぁ

意識的にロックを聴くようになった1973年以降、日本の歌謡曲/フォーク/インストバンドといった類いの音は全く聴いていない。何かの拍子で音が耳に入り「これはロックだ」と認識した場合は「日本のロック」として曲名、バンド名を調べることはする。 信頼できる(つまり根がロックな)奴から薦められたものは一応聴く。 なのでここ35年間の日本の歌謡曲がどういうサウンドを鳴らしていたのか全く知らなかった。 が、先日、1970年代の歌謡曲以降を浴びる程、それも解説付きで聴く(聴かされる)機会があった。 1970年代=アレンジャーはジャズ屋さん。フォーマットはストリングス・オーケストラ。サウンドはクラシックのポピュラーアレンジ。歌唱はコーラス、つまり真っ白け。黒くあろうとする努力すらなし。楽曲は職業作家提供。 1980年代=アレンジャーはロック屋さん。フォーマットは打ち込み。基本的なサウンドアレンジメントは70年代と変わらず、プロの弦楽奏者がクビになりシンセに置き換わっただけ。 1990年代=アレンジャーはロック屋さん。フォーマットは打ち込みまたはロックバンド。サウンドはロック(リズムセクションとリード楽器、隙間埋め用鍵盤) なんか歌謡曲からいわゆるJポップに至る流れというのは、コストダウンの歴史に他ならないのだね。 本来はミュージカル・エリートたちが素人に近いシンガーをもり立てるという形式だったのが、そのエリートたちを放逐し、シンセなどの電子デバイスに置き換えたり、あるいはロックバンドフォーマットにすることで音楽家の数を減らすあるいは質を下げることでコストダウンするという図式。 まる一日聴かされて分かったのがこれだけというのも大変な話だ。 でもまぁとにかくコストダウンに伴う質の低下は明らかで、これでCDの売上が減ったのはユーザの違法行為のせいだと言われても、言いがかりとしか思えないね。 60年代から70年代のロック(ジャズやソウルも)は、今から振り返ってもとんでもなくレベルの高いものが揃っていて、例えばRoxyのSong for Europe。欧州の歴史的終末感を恋愛の終末感をダブルミーニングで織り込み、恋愛の終わりを歌っているようで実は欧州の終わりをも嘆いている。そういう重厚な音楽を聴いて育った人たちが、「誰かを好きになったら友達に寝取られて悲しいけどマジで切れるぜ」なんてシンプルな

Now or Never

映画「 ピース・ベッド 」に関連して。 列車に揺られながら、iPodから聴こえて来た歌声で一気に目が覚めた。 この歌が創られ歌われたのは1972年から1973年にかけて。既にFBIなど国家権力はジョンを危険人物と捉え1972年の大統領選挙で疑心暗鬼状態のニクソンからも目を付けられていた時期。 外出すればあからさまに尾行され、盗聴や監視、もしかしたら手紙の盗み読みなども行なわれ、ジョンもヨーコも怯えていた頃・・・ が、この二人はそんなことにはおかまいなく、言うべき事は言うというスタンスを貫く。もう天晴れとしかいいようがない。 歌詞もメッセージも音楽も素晴らしいが、文字通りの身の危険も顧みないその姿勢。愛と平和のジョンというイメージでは捉え切れない、「闘うジョン&ヨーコ」の面目躍如ですね。 さらに、35年前に発せられたこのメッセージが2008年の、今のアメリカに於いても有効というのがあまりに悲しい。 去年創られた歌だと言われても不思議じゃないもの。 Are we gonna keep pushing our children to drugs? Are we gonna keep driving them insane? Are we gonna keep laying empty words and fists? Are we gonna be remembered as the century that failed? People of america, when will we learn? Its now or never, theres no time to lose. Are we gonna keep sending our youths to war? Are we gonna keep scaring rice fields and infants? Are we gonna keep watching dead bodies over dinner? Are we gonna be known as the century that kills? People of america, when will we stop? Its no or never, theres no time to waste. Are we gonna keep

Dirk Hamilton

中目黒のRock Bar/Cafe「 Bird Song Cafe 」へ開店4周年のご挨拶に行って来ました。 開店したのは4年前、2004年の2月。本当は先月だったんだけど、落ち着いてから行こうと思いつつ忘れていました。忘れてないけど思い出せないってやつですかね(笑 週末に長野の実家でLPを整理していたらDirk Hamiktonの1stがポロっと出て来まして、ジャケットを見た途端、「あ。Bird Song Cafeへ行かなくちゃ・・・」 マスターのmixiでのプロフィール写真がDirk Hamiltonの1stからの頂きなんですよ。 そんなワケでダーク・ハミルトン。 70年代のSSWの中でもガッツ溢れる曲と歌声、ホーンも交えたソウルフルだけどあくまで白人風にロックンロールするサウンド。AORでもない、スワンプでもない、ブルーアイドソウルでもない、だけど泥臭くソウルフルな唯一無比なロックンロール。 そのデビュー作はリアルタイムでは聴く事はできなかったけど、この3枚目のアルバムからはリアルタイムに聴いて後追いで1stから聴くほど一時はのめり込みました。 何せ情報的には皆無な人なので、レコードで聴ける音とジャケットに書かれたクレジットを基に自分で評価するしかないのですが、Rolling Stone誌で「One of the Most Unforgettable Albums of the '70's.」と言われてやっと溜飲を下げることができました。 たぶん客観的には「渋く泥臭いスプリングスティーン・フォロワーの一人」ということになるのかと。 熱く鬱陶しい歌声、ホーンの入ったサウンド、R&R/R&Bからのあからさまな影響などなど、スプリングスティーンと重なる部分もあるけど、スプリングスティーンほどのキャッチーさ、分かり易さがない辺りがB級扱いされた原因でしょうね。 でも音と歌声の熱さは負けない。キャッチーなメロディもないけど、有無を言わせぬ説得力でDirk Hamiltonの世界に引きずり込まれてしまいます。 当時、リアルタイムにこの音を聴いて引きずり込まれた人は多くないと思うけど、このガッツにしびれた人は(多分)未だに聴き続けているんだろうなぁと思います。 ボクもこのガッツ野郎にヤラれてしまった一人。30年経った今でも、初期のアルバムを聴