あーあ日本の歌謡曲かぁ

意識的にロックを聴くようになった1973年以降、日本の歌謡曲/フォーク/インストバンドといった類いの音は全く聴いていない。何かの拍子で音が耳に入り「これはロックだ」と認識した場合は「日本のロック」として曲名、バンド名を調べることはする。
信頼できる(つまり根がロックな)奴から薦められたものは一応聴く。

なのでここ35年間の日本の歌謡曲がどういうサウンドを鳴らしていたのか全く知らなかった。
が、先日、1970年代の歌謡曲以降を浴びる程、それも解説付きで聴く(聴かされる)機会があった。

1970年代=アレンジャーはジャズ屋さん。フォーマットはストリングス・オーケストラ。サウンドはクラシックのポピュラーアレンジ。歌唱はコーラス、つまり真っ白け。黒くあろうとする努力すらなし。楽曲は職業作家提供。
1980年代=アレンジャーはロック屋さん。フォーマットは打ち込み。基本的なサウンドアレンジメントは70年代と変わらず、プロの弦楽奏者がクビになりシンセに置き換わっただけ。
1990年代=アレンジャーはロック屋さん。フォーマットは打ち込みまたはロックバンド。サウンドはロック(リズムセクションとリード楽器、隙間埋め用鍵盤)

なんか歌謡曲からいわゆるJポップに至る流れというのは、コストダウンの歴史に他ならないのだね。
本来はミュージカル・エリートたちが素人に近いシンガーをもり立てるという形式だったのが、そのエリートたちを放逐し、シンセなどの電子デバイスに置き換えたり、あるいはロックバンドフォーマットにすることで音楽家の数を減らすあるいは質を下げることでコストダウンするという図式。

まる一日聴かされて分かったのがこれだけというのも大変な話だ。
でもまぁとにかくコストダウンに伴う質の低下は明らかで、これでCDの売上が減ったのはユーザの違法行為のせいだと言われても、言いがかりとしか思えないね。

60年代から70年代のロック(ジャズやソウルも)は、今から振り返ってもとんでもなくレベルの高いものが揃っていて、例えばRoxyのSong for Europe。欧州の歴史的終末感を恋愛の終末感をダブルミーニングで織り込み、恋愛の終わりを歌っているようで実は欧州の終わりをも嘆いている。そういう重厚な音楽を聴いて育った人たちが、「誰かを好きになったら友達に寝取られて悲しいけどマジで切れるぜ」なんてシンプルな歌詞を聞いても何とも思わないのは明白なんですけどね。

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